どうも鈴木テツです。
人間てサボる生き物ですよね。
サボるという判断は、デメリットだらけなので、やめた方が良いです。
ぼく含めた三日坊主を抜け出したい方々に参考になればと思います。
迷う時間が無駄無駄無駄
簡単にいえば、どうしよっかな、と迷いの数秒の時間が無駄ということですね。
とはいえ「数秒を無駄にするな!」なんていうほど無意味にストイックになれと言いたいわけではありません。
この数秒自体にはそこまで価値はないのですが、この数秒の迷いが、その後の致命的なロスになりるから無くすことが大事なのです。
迷いの数秒で無限の言い訳を構築する生き物、それが人間
人間というのは賢い生き物で、この数秒の間にあらゆる言い訳を考え出します。
どうしよっかな、と空(くう)を見上げた瞬間です。
数秒ではなく、もはや一瞬です。刹那の瞬間です。
やる理由ではなく、やらない理由を理屈も屁理屈も含めて無限に生み出すことが出来るのです。
この一瞬の迷いによる躊躇がダメなのです。
躊躇する、つまり【やろう】か【やらまいか】を判断するということです。
そうするとどうなるか。
結果、サボる
そのままですが、結果サボります。
天使と悪魔が出てくると、人間は悪魔になびきます。
鬼軍曹のコーチでもいれば恐怖が勝つのですが、1人だと完全に自分次第なので、サボります。
心理学的にも、人間というのは苦痛などからは逃げて快楽や快感の方に向かって行動してしまうそうですが、はっきり言って当たり前です。心理学とか権威的なコメント言う必要ないくらい、当然です。
つらいことなんてしたくないです。
楽しいこと、楽なこと、気持ちの良いことずっとしていたいですよね。
このようにすると決めたら毎日し続けると決めて行動しないと、一瞬でも今日はどうしようかな?なんて迷いの時間を与えたらそれはサボるしかないわけです。
というわけで、一瞬でも判断する時間を与えたらダメなんです。
また判断することは、ダメな時間の過ごすことに加えて脳力の消費にもなります。
判断することでの脳力消費
ここで言うのは能力ではなく脳力です。
走ったり飛んだりという運動的な側面の体力と同様に、脳にも考えたり判断したりする脳力というものがあります。
脳みその体力のようなものです。
脳力は考えたり、判断したり、認識したり、悩んだりすることで少しずつ消費されます。
で、寝たりぼーっとテレビを見ていたりしたら回復します。
判断するという作業は、この脳力を激しく消費します。
こっちの選択肢とあっちの選択肢で、あれやこれやの要素を並べて比較検討して、結果としてあっちの選択肢を取るという膨大な作業を行っているわけですので、当然です。
「やる」か「やらないか」の判断で、サボる方向に判断することも貴重な有限な脳力を消費する、非常にもったいない使い方なのです。
こんなことで脳力を消費して、その他の大事なことへの思考力が低下することは、毎日のパフォーマンスを確実に劣化させます。
ぼくのケース
少し小さい事例ですが、実際にぼくがこの「判断しない」を実践してよかったなというケースを紹介します。
ぼくは体力作り&節約の為に帰宅は走って帰ることにしています。

ですが当初は「雨の日は走らない」ことにしていました。
そりゃ雨の日まで走るって、ストイックすぎるし、単純に濡れたら気分悪いですし。
雨の日は走らないって普通ですよね。
すると、どうなったか。
実際に雨が降っていなくとも天気予報が雨だとサボるようになりました。
ひどいときは曇りでも走らなくなりました。
走っている途中に降られるかもしれない、と。
するとサボります。
サボりが恒常的になります。
すると自己嫌悪です。
雨に降られるより気分が悪くなりました。
その後、これではいかんと思い直し、雨の日でも毎日走って帰ることにしたら非常に良い効果が表れました。
走ろうか走らないか悩んでいた時間が無くなりました。
またサボることで生じていた自己嫌悪もなくなりました。
毎日走ることで体力が著しく向上しました。
周りから雨の日も走るなんてスゴイと、評価されるようになりました
ほんと良いことずくめです。
判断をやめると人生は楽になる
サボる為の判断は貴重な時間と脳力の消費でしかありません。
であれば判断自体をなくしてやり「やる」の一択にすればよいと思います。
すると時間がセーブでき、自己嫌悪もなくなり、周囲からの評価もあがります。
ある意味、考えることを放棄しているという楽な方向に舵を切っただけなのに、良いことずくめです。
結果、判断をなくすことは超絶おすすめです。
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